NHK山本浩アナの名言集で綴る「日本代表の歴史」

 

サッカー中継はやっぱりNHK。
CMが無いしフィールド全体を見渡すカットが多く、必要以上に騒がしくない。
それに加え、山本浩アナをはじめとするサッカー好きが多いから。
準備された言葉、感情のまま口にしたプロの言葉は時が経ってもその時が思い出されます。


1985年 メキシコワールドカップ予選 日韓戦
「東京、千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいてきているような気がします。」

サッカーファンなら誰もが知ってる、あまりにも有名なフレーズ。

忘れもしないドーハの悲劇

「入った、入った。同点、同点。 同点になりました。アメリカへの道、重い扉、ついに引き分けという形で終わってしまいました。」

これまた超有名なフレーズ。なんて冷静なんだ!
実際は一緒に見ていた仲間の悲鳴にかき消され確認できなかった。

1997年9月7日 ワールドカップ フランス大会 アジア地区最終予選 第1戦
「あれから、4年の歳月が流れました。胸に宿るものが、今またこの瞬間に燃え上がろうとしています...国立競技場に吹いているのは、西からの湿り気を含んだ風。 遥かにフランスを想いながら、長い戦いのはじまりです。」

いよいよ4年前の思いを胸に予選スタート。
しかし国立での韓国戦逆転負け、中央アジアでの監督更迭など険しい道のりでした。

1997年11月1日 ワールドカップ フランス大会 アジア地区最終予選 第7戦

「ソウルの街は 秋の静けさの中です。 ただ蚕室のスタジアムの空にだけ7万人の大歓声が波打ちながら吸い込まれています。 ワールドカップアジア最終予選。韓国はいま日本を待ち受けています。」
「日本は引き分けという長いトンネルに入ったまま、走り続けています。しかし、このトンネルには必ず明るい出口があると信じて戦わなければなりません。いつもの柔らかいサッカーで、激しく戦ってくれるはずです。」

試合勝利後
「フランスに向かって胸を張って前を向きました。」

ソウルでの韓国戦勝利で、まだ諦めるわけにはいかなくなった。

1997年11月8日 ワールドカップ フランス大会 アジア地区最終予選 第8戦

「日本は幾たびか蜃気楼を見てきました。 フランスの影が現れては消え、消えては現れる日々でした。 今しかし、フランスの姿をはっきりと捕らえる日を迎えています。 勝たなければならない試合。相手はカザフスタンです。」

「国立競技場は、いつになく穏やかな雰囲気です。韓国に勝って、自分達の手でフランスへの前向きな道を歩み始めた日本を、そのまま青いサポーター達が体現してくれています。日本はこの試合に勝つこと。勝っても未だ第3代表決定戦のために16日にAグループの2位と対戦しなければフランスへ道は開かれません。 しかし日本には今日、勝つ自信が満ち満ちています。」

試合勝利後
「柔らかく激しく、最後の試合、フランスへ向かってもらいたいものです。」

中山の代表復帰。UAEが前戦で引き分けていたのでB組2位が決定した。
次は第3代表をかけてイランに挑む。

1997年11月16日 ワールドカップ フランス大会 アジア地区第3代表決定戦

「スコールに洗われたジョホールバルのピッチの上に、フランスへの扉を開ける一本の鍵が隠されています。ラルキンスタジアムのこの芝の上で、日本代表はその鍵を必ず見つけてくれるはずです。」

同点で向かえた延長前、輪になって手を繋ぐ選手達に向かって、
「彼らは、彼らではありません。彼らは私たちそのものです。」

延長後半13分岡野のゴールで出場決定。
ダエイ、アジジ、マハダビキア、ミナバンド、彼らはオーストラリアに勝ってフランスへ。

1998年6月14日 ワールドカップ フランス大会 グループリーグH組(アルゼンチン戦)

「声は届いています。遥か東の方から、何百万、何千万もの思いが、大きな塊になって聞こえてくるようです。
遠かった道のりでした。本当に、遠かった道のりでした。
日本の世界の舞台に初めて登場するその相手は、アルゼンチン。世界が注目するカードです。このゲームの解説は松木安太郎さんです。松木さん、ついに来ましたね。」

前半25分のアルゼンチンFK  「あの距離で直接撃ってくるのは、勇気が必要。」
1点取られた後  「日本の選手はこの1点で萎縮してはいけません。サッカーは90分の勝負です。」
前半35分  「今度は女神が日本についていると思って、日本、行きましょう。」
後半15分  「ボールをキープしてくれる選手が欲しいのでは・・・」  と松木にふって同意を求めようとする。
その後  「城、中山はポイントを作る選手じゃありません」  とロペスの必要性を訴える。 
後半20分  「あー。ロペスが呼ばれましたね」
後半24分バティのFK  「川口、決断力のあるプレーでした」 
後半36分秋田のヘッド  「とびこんでくるぅー。あぁきぃたぁぁ。あーっ。あぁーっ。」
ロスタイム  「日本は正確に、簡単に同点に追いつきたい。」

0-1敗戦。この数時間後にはシンガポールでフランス行きの長時間乗り継ぎ待ち。
「日本って結構やるじゃない」って、様々な国の人から声をかけられた。
1998年6月26日 ワールドカップ フランス大会 グループリーグH組(ジャマイカ戦)

「振り返らずに歩く道です。スタンドの波打つ音が聞こえてきます...芝の匂いがしてきます...そこに広がるのは、私たちの20世紀を締めくくる戦場です。リヨン、ジェルラン競技場。日本はここで終るのではありません。自分たちの明日に、私たちの2002年につなぐ90分間にしなければなりません。ワールドカップ第3戦、日本対ジャマイカ。勝つために戦います。」

「ここで笛が鳴りました。日本のワールドカップ初出場の体験は3敗。  1点をあげることはできましたが 、勝ち点をあげることも勝ちをあげることにもつながりませんでした。  ジャマイカ初出場で1勝を挙げて勝ち点3。日本はこのグループ勝ち点0の最下位。 
世界で戦うということを日本の望みとして、日本のサッカーの水準は世界で戦えるのかどうか、はじめて公平な場で自分たちの実力を試しにかかったこのフランスワールドカップ。  日本は3連敗でその戦いを終えました。」

中山の得点も勝ち点には結びつかなかった。やっぱり監督の問題だろうね。

1998年7月12日 ワールドカップ フランス大会 決勝戦

「自由なチャレンジャー、フランス。20世紀に君臨した、ブラジル。喜んで戦うフランス、どっしりと受けて立つブラジル。応援に包まれるフランス、経験が支えるブラジル... どんな言葉で語ってみても、この2つのチームはそれぞれの表現を裏付けるサッカーを、しっかりと持っています。1998年フランスワールドカップ決勝戦、ブラジル対フランス。」

過去の決勝と比べると物足りなかったけれど、それでも開催国が勝つと盛り上がります。

1999年1月1日 第78回天皇杯決勝戦(横浜フリューゲルスVS清水エスパルス)

「いつもの空、いつもの風、そして、いつもの芝。しかし、空気だけは今年は違います。第78回天皇杯決勝戦。全国に共感を巻き起こしながら、今日最後の横浜フリューゲルス。対する清水エスパルスは、初めての決勝戦です。」

試合終了後
「私たちは忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空はまだ横浜フリューゲルスのブルーに染まっています。」

残念ながら清水は準優勝。ファンの殆んどがフリューゲルスサイドだったからな〜。

1999年4月24日 ワールドユース・ナイジェリア99決勝戦(日本代表VSスペイン代表)

「蒔いた種が花を開こうとしています。それは、18本の色とりどりの花です。Jリーグが始まって7年目。今、その成果が若い世代の檜舞台で鮮やかに咲こうとしています。」

プロリーグ誕生は代表を強くする。

2000年1月1日 第79回天皇杯決勝戦

「この空気、この空はいつもの国立競技場です。地球は回り、時代は堰を切って2000年に流れ込みました。新しい年、新しい日付...サッカーにとってのこの日この時は、しかし、一日一日、一年一年の積み重ねによるものです。天皇杯の決勝は、1000年の桁を跨ぎながらも、1900年代に作り上げてきた財産で戦うものです。」

2-0で名古屋が優勝。ストイコビッチが素晴らしかった。

2000年9月17日 シドニーオリンピック予選リーグ(日本代表VSスロバキア代表)

「勝つべき試合に勝つ。勝てる試合に勝つ。決勝トーナメントを目指す日本が考えているのは、この一戦での確とした勝利です。キャンベラのブルーススタジアム。日本にとっての第2戦も、日の丸を持つサポーターが目立つこのスタジアム。日本にとって、ホームスタジアムにも似た心強い環境です。対戦相手はスロバキア。」

プロ解説者のような実況、試合への期待が高まる。

2000年9月23日 シドニーオリンピック決勝トーナメント 準々決勝(日本代表VSアメリカ代表)

「予選リーグという分厚い雲を突き抜けてやって来たのは、今の私たちにとって未知のゾーン、決勝トーナメントです。そこは、勝つと負けるしかない世界です。栄光を手にするためにくぐるべき最初の関門に立ちはだかるのはアメリカです。アデレードのハインドマーシュスタジアム、少し強い風が左から右に吹いています。」

フットボールの全てを知り尽くしたコメントは感動的。スタジアムにいる感覚を味わえる。

2002年1月1日 第81回天皇杯決勝戦

「ワールドカップイヤーが幕を開けました。新しいカレンダーに記す初めての試合。名誉、自尊心、達成感。サッカーのもたらす栄光が、この一戦に凝縮されています。天皇杯決勝戦です。清水エスパルス対セレッソ大阪。勝利に貪欲なチームに、栄冠が渡るはずです。」

大変なことになりました。清水エスパルスにとっては大変なことになりました。しかしまだ、ゴールは決まった訳ではありません。ペナルティキックが与えられるという判断が行われたまで。

厳しい勝負の90分間、追い付いたセレッソが勢いを残しながら、結局、笛の前に一旦、水が入りました。2対2の同点。
2002年の1月1日の決勝戦は、昨年に続いて延長戦に入りました。こんな言い方が出来るかどうか分かりませんが、清水エスパルスの手の中には、もう天皇杯が入っていた感じの時間帯がありました。

勝った選手は、なんと素晴らしい顔をするんでしょう。去年のこともあったでしょう。そして、かつての、フリューゲルスとの戦いで敗れた記憶を持っている選手も少なくありません。そんな中で勝ち取った天皇杯。

タイトルの経験がない訳ではありません。しかし長い間清水には、ナンバーワンを取れないチームではないか。そんな疑念を自らの中に持つ時間がありました。その清水と激戦を演じ、一時はセレッソが優勝しそうな、そんなニュアンスまで感じさせた今日の試合でした。

2002年、ワールドカップイヤーの天皇杯のタイトルは、長く待ち焦がれていた清水エスパルスの手に。国立競技場は、清水エスパルスの天皇杯獲得を祝福する声で、祝う拍手で包まれています。独り清水のサポーター席から響くばかりではありません。セレッソの応援席からも大きな拍手が寄せられました。

選手達の胸には、ワールドカップイヤーをいいサッカーで勝ち抜いた、2001年をいい形で締め括ったという思いがあるに違いありません。今年が素晴らしいサッカーの年になりますように・・・。

乗ってましたね〜、この試合は名言続出。もしかして山本さんは清水ファン?
清水優勝で素晴らしいワールドカップイヤーの幕開けです。

2002年6月4日 ワールドカップ日韓大会グループH

<オープニング>
「4年前のあの日が昨日のことの様です・・・・・
1400日を跨いで、かすかな負い目と、それを上回る自信を胸に秘めてきました・・・・・
今ここに再び立ち上がる時がやってきました。 第1戦の相手はベルギーです。」



「信じています。 青いユニフォームを身にまとったあなた方を信じています。
サッカーに思いを捧げてきた私達は、心の中で今、日本代表と一つになっています。
信じています。 いつものように有らん限りの力で前に向かって戦ってくれることを。
2002年6月4日・・・日本でのワールドカップ・・・ベルギー戦のキックオフです。」

<失点1>
日本は注意しないといけません。コールがいます。ベルへイエンがいます。ウィルモッツがいます。ウィルモッツもヘディングが強い選手です。ハイボール要注意!こぼれ球注意!もう一つちゅうぃダァァーット!!
ウイルモッツのオーバーヘッド!ベルギー先制!
ベルギーに一点を許しました日本・・・・・まだ時間はあります・・・・・ベンチは動くのか!

<鈴木ゴールシーン>
「裏を狙ってくる・・鈴木が入ってくる・・・シューーゥトだぁ〜〜・・・ 同点ゴール!鈴木の同点ゴールが出ました・・・・あっというまに追いつきました。スタジアムがわれている・・・・・」

<柳沢ドリブルシーン>
「抜けてくる〜抜けてくる〜・・・・引っ張っている。 引っ張った!引っ張った!(ペナルティ内で転倒) とりません!!とりません!!」 

<稲本ゴールシーン>
「稲本上がってきた、稲本抜けてきた、稲本チャンスになった・・シューゥトォー!きめた〜!勝ち越したニッポン!!2−1。この瞬間、ヴィルモッツ、がっくりと膝をつきました。」

<失点2>
28分を回っている。日本、セットプレー要注意です。・・・・・来た、危ない。森島が行きます。
ヴァンメール!これも危ない! 日本危ない!!浮かされたぁぁ〜っ!・・・・・同点ゴール。

BSハイビジョンでしか実況しなかったのが残念。

BACK